高島礼子が太った理由は?若い頃(昔)の映画や画像と現在を比較!

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今回は、女優の高島礼子さんについてご紹介します。

2016年8月1日に、元俳優の高知東生さんと離婚をした高島礼子さんが、現在は太ったと話題になっています。太った理由は何なのかを、若い頃画像映画と見比べながら検証してみましょう。

高島礼子が太った?理由は何?画像あり

高島礼子さんが太ったのではないかと噂されるようになったのは、2016年8月に離婚して以降のことです。離婚の件だけではなく、元旦那の逮捕の件についても、日々マスコミに追い回され、かなりの心労が重なったことが原因で太ってしまったのかと思いきや、実は違っていました。上の画像を見ても感じる通り、太ったとは言えず、むしろ離婚前にドラマや映画で大活躍していた頃と同じであるようにも見えます。

ではなぜ、太ったという話題が出てきてしまったのでしょうか。調べていくと、どうやら高島礼子さんはかつて、激やせしていた時期があったようです。事の経緯は以下の通りです。

高島礼子さんは、34歳のときに高知東生さんと結婚した当初から、夫婦ともに子供が欲しいと思っていました。そんな2人に悲劇が訪れます。結婚して5年目の2005年に、高島礼子さんの父親がパーキンソン病にかかってしまいます。

パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じます。

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また、パーキンソン病では、運動症状以外にも、便秘や頻尿などの自律神経の症状、不眠などの睡眠障害、うつ症状などの精神症状、認知機能障害などがみられることがわかっています。これらを非運動症状と呼びます。うつ症状は患者さんの約半数にその傾向があるといわれていて、患者さん自身や家族の方も気づかないことの多い症状です。認知症は病気が進行すると約2割の方にみられます。

高島礼子さんの父親にどんな症状が見られるかまでは明らかにはされていませんが、少なくとも自宅での介護が必要な状態であることは間違いありません。父親がパーキンソン病であることが判明してからは、自宅をバリアフリーに改装し、10年以上の長きにわたって父親を介護してきました。当然、介護の疲れというものは出てきますが、仕事では、女優として明るく元気に振る舞わなければならず、仕事と介護の板挟み状態でした。

仕事だけでも多忙な上に、父親の介護が重なっていた高島礼子さんは、不妊治療も行っていました。高島礼子さんが知人に当時の現状を以下のように伝えていました。

彼女(高島礼子)が40歳のときに私がばったり会ったとき、失礼だけど“子供はどうなの?”って聞いちゃったの。彼女は“いま不妊治療をしているけど、なかなかね。でも42歳までは頑張ってみようと思う。それでダメなら諦めるわ”と話していたんです。

不妊治療を開始しして、すぐに子供を授かるケースもありますが、高島礼子さんの場合はそうではありませんでした。不妊治療を継続していくに連れて日に日に溜まっていく不安とストレスが、高島礼子さんの体を蝕んでいたのでしょうか。悲劇はさらに続きます。

不妊治療を行っていることを知人に告白した翌年に、婦人科系の病気に罹っていることが判明したのです。不妊治療を行っている最中の出来事でしたので、高島礼子さんは相当ショックを受けていたようですが、追い打ちをかけるように、辛い現実を突きつけられてしまいます。ずっと不妊治療の担当をしていた担当医から、妊娠が難しいことを宣告されたのです。

父親の介護、不妊治療に対する不安、自身の病気と、精神的に負担がかかる出来事が立て続けに起こったことから、高島礼子さんは激やせしてしまいました。

そんな折に、元旦那の高知東生さんが逮捕され、結果的には離婚に至ってしまったことで、高島礼子さんの中で何かが大きく変化したのでしょうか。それ以降、高島礼子さんが太ったと噂されるようになりました。

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画像を見ると、確かに少し頬に肉が付いたかな?とも思いますが、実際には太ったのではなく、離婚という形で元旦那と縁が切れ、気分的にも多少は楽になったことから、元の体重に戻ったという方が正しいのかもしれません。

高島礼子は若い頃は無類の○○好きだった?画像あり

高島礼子さんは10代の頃から車が好きで、21歳のときにはA級ライセンスを取得しています。四輪自動車の免許にはさまざまな種類があるのですが、高島礼子さんが取得したのは、国内A級ライセンスです。

国内A級ライセンス(16歳以上18歳以下では限定国内A級ライセンス)を取得すると、ワンメイクレースなどの各種国内格式レースに出場が可能となります。実際に高島礼子さんも、国内で行われていたアマチュアレースに参戦していたこともありました。

ただし、アマチュアレーサーであったため、レーサーとしての収入はほとんどなく、むしろ、レースに参加するための出費が多く、生活ができなかったため、レーシングドラーバーをしながら、レースクイーンとしても活躍していました。

そんなレースの世界にいた高島礼子さんが芸能界で女優として活躍するきっかけを作った人物が、あの超大物俳優である松平健さんでした。

1988年(高島礼子さんが25歳のとき)に女性向け就職情報誌『とらばーゆ』のCMに出演していた高島礼子さんを見た松平健さんが、当時放送されていた松平健さん主演の時代劇『暴れん坊将軍Ⅲ』への出演を、松平健さんが直々に高島礼子さんにオファーしたのです。

いつのまにか師弟関係が築き上げられ「新幹線はグリーン車に乗りなさい」などスターとしての心得などを伝授してもらったりしていたそうです。

このようにして、自分の才能を見出してくれた松平健さんに感謝の念を抱きながら、その後も高島礼子さんはますます活躍していきました。

大物俳優が直接オファーをするぐらいですから、松平健さんは、高島礼子さんの才能を見出していたということになります。さすがはトップを張り続けている俳優さんですね。

高島礼子の若い頃の画像が沢尻エリカに似てる?

20代になりたての頃はレーシングドライバーとして、男社会であるレースの世界に身を置いていた高島礼子さんですが、当時から可愛いと話題になっていたようです。

レースクイーンとして活躍するようになってからもその話題は消えるどころが、どんどん熱を帯びていきました。

一部では、高島礼子さんの若い頃が、沢尻エリカさんに似ているという噂もあるようですが、皆さんはどう思われますでしょうか?

高島礼子が高知東生と復縁?馴れ初めから現在に至る経緯は?

高島礼子さんと高知東生さんが結婚したのは1999年ですが、出会いは共通の知人を通じての紹介でした。

高知東生さんも高島礼子さんも「お酒好き」という共通点から、すっかり意気投合したとも言われています。交際中も、高知東生さんの母校明徳義塾高の甲子園の応援に一緒に駆けつけたりと、とても仲良しそうでした。

芸能プロダクション関係者によると、高島礼子さんと高知東生さんは、離婚した後もお互いに連絡を取り合うなどしてつながっているそうです。

「先日、週刊文春でも報じられましたが、高知は湘南のバーで高島に対する感謝を述べ、“今でも助けてもらっている”と話し、“今度、礼子も連れてくるから”と言っていたといいます。2人は、共同で購入し、現在は高島の家となった世田谷区の豪邸ではなく、横浜で会っているようです。高知の店も高島の実家も横浜ですからね。高島も世田谷には住んでいないはず」と発言。本誌も世田谷の高島の家を訪ねたが、確かに人の気配はなかった。

「高島は、高知が捕まった際の謝罪会見でも、“妻としての責任がある”と語っていましたが、そもそも本人には離婚するつもりがなかったといいます。“芸能活動のマイナスになる”と周囲から強く言われ、離婚を決意したんですが、何を言われようと高知が好きだったんでしょうね」

傍目から見れば、高知はヒモのようにしか見えないが、芸能レポーターのあべかすみさんは、こう語る。「まあ、男と女は相性がありますから(笑)。離婚後に、世田谷の家に出入りする高知さんの姿が報じられたこともありましたが、高島さんは合鍵を持つことを認めていたんですよね。お父さんの介護や芸能活動への影響もあるので、すぐの再婚はないと思いますが……」

確かに相性というものはありますが、高島礼子さんの女優としての今後を考えた場合、再婚復縁というのはマイナスにしか作用しないように思うのですが・・・。いずれにしても、今後の動向に注目し続けていきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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