原田知世の姉の現在は?死去したって本当?画像あり。

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今回は、原田知世さんのお姉さんである原田貴和子さんについてご紹介します。

原田知世の姉・原田貴和子の現在について

原田知世さんの実姉である原田貴和子さんの現在の仕事やプライベートを画像付きでご紹介します。

原田貴和子のプロフィール

生年月日:1965年5月21日
出身地:長崎県長崎市
本名:原田貴和子
身長:163 cm
血液型:A型
職業:女優
ジャンル:映画・テレビドラマ
活動期間:1986年~
配偶者:一般男性(2001年~ 2011年)
著名な家族:原田知世(妹)
所属事務所:ショーン・ハラダ

妹の原田知世さんが女優活動を開始したのが1982年ですので、女優としては原田貴和子さんの方が後輩ということになります。

所属事務所のショーン・ハラダには、所属者が原田貴和子さんと原田知世さんしかいませんので、個人事務所のようです。

事務所のホームページによると、音楽活動も行っているとのことです。

女優デビューは日本ではなく海外?

先ほどのプロフィール欄にもありましたが、原田貴和子さんがデビューしたのは1986年です。

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デビュー作は、スペイン・イタリア・日本合作による『アフガニスタン地獄の日々』ですが、日本では未公開の作品でした。

後日、東宝よりビデオ発売されましたが、現在では廃盤となっています。

ちなみに、国内でのデビュー作は、大林宣彦監督の角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』です。

日本と海外、どちらもデビューが映画ということで、当時から相当な美貌と演技力を兼ね備えた実力者だったことが伺えます。

原田貴和子が出演した映画やドラマは原田知世に負けていない?

原田貴和子さんが出演した映画は以下の通りです。

アフガニスタン地獄の日々(1986年、日本未公開)
彼のオートバイ、彼女の島(1986年、東宝・角川映画) – 主演・白石美代子 役
キャバレー(1986年、角川映画)
恋する女たち(1986年、東宝) – 吉岡比呂子 役
私をスキーに連れてって(1987年、東宝) – 佐藤真理子 役
漂流教室(1987年、東宝東和)
誘惑者(1989年、ヘラルド・エース) – 吉井はるみ 役
ゴジラvsキングギドラ(1991年、東宝)
真夏の地球(1991年)
結婚(1993年、松竹) – 花村華子 役
長い散歩(2006年、ゼロピクチャーズ)
たみおのしあわせ(2008年)
ペコロスの母に会いに行く(2013年) ‐ 岡野みつえ(若い頃)
はなちゃんのみそ汁(2016年) – 片桐医師 役

続いて、原田貴和子さんが出演したテレビやドラマは以下の通りです。

二十歳の祭り(1986年、TBS)
橋を渡る蝶(1987年、NHK)
ある日の啄木(1988年、NHK)
原宿かぐや姫伝説(1988年、TBS)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!「湘南ドラマ] (1988年、日本テレビ)
ハッピーバースデイ殺人事件(1988年、フジテレビ)
不倫の恋も恋は恋(1988年、フジテレビ)
震える目(1989年、フジテレビ)
男と女のミステリー「心はロンリー気持ちは「…」IX」(1989年11月24日、フジテレビ)
市川準の東京日常劇場『釣り堀』(1990年4月10日 – 13日、テレビ朝日)
すてきな片想い(1990年、フジテレビ) – 園部育美 役
世にも奇妙な物語 『みどり紙』(1991年、フジテレビ)
AD・リターンズ(1992年10月9日、TBS系)
十年愛(1992年、TBS系) – 洋子 役
ネオドラマ「銀の水」(1992年、テレビ朝日)
徹底的に愛は…(1993年、TBS) – 佐伯てるの 役
土曜ワイド劇場「眠りの森の美女殺人事件」(1993年、テレビ朝日) – 浅香未緒 役
ifもしも 第9回『「別れましょう」か「結婚しましょう」か』(1993年7月8日、フジテレビ)
並木家の人々(1993年、フジテレビ) – 朝吹京子 役
夏!デパート物語(1995年、TBS)
金曜時代劇「宝引きの辰捕物長」(1995年、NHK)
新・腕におぼえあり(1995年、NHK)
土曜ワイド劇場「京都お見合ツアー殺人事件」(1998年、テレビ朝日)
世にも奇妙な物語 『ホーム、スィートホーム』(1998年、フジテレビ)
女と愛とミステリー
「和泉教授夫妻シリーズ1」(2001年) – 島田露子 役
「獄門島」(2003年、テレビ東京)
「花の罠-奈良・大和路殺人事件」(2003年、テレビ東京)
父に奏でるメロディ(2005年、NHK BS hi)
わたしが子どもだったころ「タレント ルー大柴」(2008年、NHK BS hi) – 母・智子 役 ※再現ドラマ部分

特に、1980年代後半から1990年代前半にかけては、飛ぶ鳥を落とす勢いで映画やドラマに出演しており、妹の原田知世さんに勝るとも劣らぬ活躍ぶりでした。

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原田貴和子は結婚してる?子供はいる?

2001年にNTTの関連会社に勤務していた一般会社員と結婚し、結婚を機に芸能界を一時的に引退しています。その後、2人の子供(1男1女)が生まれ、順風満帆な生活を送っていましたが、2011年に離婚しています。

現在は、シングルマザーとして2人のお子さんと3人で暮らしています。

ちなみに、お子さんの年齢や職業、画像については一切公表されていませんが、原田貴和子さんの結婚時や現在の年齢から推測すると、中学生か高校生ではないかと思われます。

原田貴和子の出身校はどこ?

原田貴和子さんが通っていた高校は、佐賀県立商業高等学校です。

自宅がある長崎県長崎市から高校がある佐賀県佐賀市までは、電車でおよそ1時間30分ですので、往復3時間の道のりを毎日通学していたようです。

でもなぜ、長崎市内の高校ではなく、佐賀市内の高校に通っていたのでしょうか?

商業高校と言えば、資格取得や検定取得に熱心で、一般的には卒業後に就職することを主な目的とした学校ですので、芸能活動を視野に入れた進学ではなかったようです。

さらに、佐賀商業高等学校の偏差値は45であることを鑑みると、中学時代に勉強に励むことができない環境にあったのかもしれません。

原田家は4人兄弟ですので、経済的な負担を少しでも緩和するために、越県してでも公立高校に通う必要があったのかもしれません。

原田貴和子と原田知世の関係は良好?それとも・・・?

1987年に公開された、映画『私をスキーに連れてって』で共演するなど、世間では原田姉妹旋風を巻き起こしていましたが、それ以降は姉妹共演はありませんでした。

2013年に公開された、映画『ペコロスの母に会いに行く』で共演しました。姉妹共演は20年ぶりだったようです。

原田貴和子さんの事務所関係者は2人の関係を以下のように語っています。

「これまで貴和子さんは子育てを最優先にしてきました。仕事を理由に家を空けたくなかったので、仕事をセーブしていたんです。

しかし今回の映画では撮影中に、子供たちをお母さんに預けて、面倒を見てもらっていました。貴和子さんも知世さんも時間があれば、(千葉県の)母の顔を見に通っています」

仕事だけではなく、家族ぐるみでも交流をしていました。

2011年に発生した東日本大震災の際には、東京都内で撮影中だった原田知世さんが、撮影現場の近くにある原田貴和子さんの家に避難したそうです。

その後も交流は続き、原田知世さんは、自身の離婚(イラストレーターのエドツワキさんと2013年末に離婚を発表)についても、原田貴和子さんに相談していたようです。

「貴和子さんが離婚したのは45歳のとき。そして知世さんは2013年11月に46歳になりました。

貴和子さんは2人の子供を抱えながらもシングルマザーになる道を選びました。そんな姉の思い切った再スタートに、知世さんも自分の人生を見つめなおし、離婚という再出発の道を選んだのではないでしょうか」

芸能人姉妹だからと言って仲が悪いとか、確執があるというわけではなく、ごくごく一般的な姉妹同様、お互いに支え合いながらの関係を続けているようです。

原田貴和子さんは、妹思いの優しいお姉さんといったところでしょうか。

原田知世の姉は死去した?

ネットでは、原田知世の姉は死去した?といった情報が流れていますが、これは全くのです。

この情報が出回ったのは、原田貴和子さんが離婚した後、シングルマザーとして子育てに専念するため、テレビや映画などの表舞台から姿を消していたためだと考えられます。

現在は2人のお子さんが大きくなり、子育ても落ち着いてきたことから、今後は徐々に仕事のペースを上げていき、テレビや映画に出演する機会が増えてくるものと思われます。

アラフィフ美人姉妹の活躍を期待したいと思うのと同時に、原田貴和子さんの今後の動向に注目していきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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