今回は、石橋貴明さんについてご紹介したいと思います。
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石橋貴明について
お笑いコンビとんねるずのリーダーであり、歌手としての一面ももつ、石橋貴明さんのプライベートに迫ってみたいと思います。
プロフィール
本名:石橋貴明
生年月日:1961年10月22日
出身地:東京都板橋区成増
血液型:A型
身長:182cm
最終学歴:帝京高等学校
スポンサードリンクコンビ名:とんねるず
相方:木梨憲武
事務所:アライバル
活動時期:1980年 ~
同期:コロッケ・小柳トム
コロッケさんと同期だったんですね。
高校時代は、野球部に所属していました。
帝京高校といえば、甲子園常連校ですが、石橋さんはレギュラーメンバーではなく、補欠選手だったそうです。
でも、帝京高校の補欠ですから、野球の技術はかなり高いのではないかと思われます。
生い立ちが壮絶?
石橋さんの実家は、父親が「石橋化成」という会社を経営していたため、裕福でした。
ところが、その石橋化成が倒産してしまい、石橋さん家族は夜逃げ同然の移住を余儀なくされます。
そしてさらに、父親が蒸発してしまいます。
それからは、超がつくほどの極貧生活を送ってきたそうです。
石橋さんが出版した本の中で、
素人時代にテレビに出て様々な賞をとったのは、自分が頑張って賞金をもらい、その様子が父の目に留まれば帰って来てくれるとの考えがあった。
そして現在も、その延長で仕事を続けている。
と語っています。
元嫁について
現在の奥様は、女優の鈴木保奈美さんですが、石橋さんには離婚歴があります。
石橋貴明の離婚歴
現在は一般女性ですが、当時はモデルをしていた岩田雅代(いわた まさよ)さんと、1988年に入籍します。
そしてその翌年、娘の石橋穂乃香さんを妊娠しました。
親子なので当たり前なのですが、雅代さんそっくりですね。
1998年に、度重なる石橋さんの女性問題が原因で離婚しました。
石橋貴明の現在の嫁(鈴木保奈美)は不倫略奪婚?
現在の奥様である鈴木保奈美さん自身も、石橋さんとの結婚が2回目の結婚に当たります。
元旦那は、F1解説者の川井一仁さんです。
川井さんとは、アイルトンセナの事故死を悼む追悼の会を通じて知り合いました。
川井さんの語学力に魅かれたのでは?と言われています。
しかし、F1解説者の仕事は、海外を転々とするため、鈴木さんとの時間をゆっくりとることができず、1997年に離婚します。
そこからは、事態が目まぐるしく変わります。
先に保奈美が夫と別れ、貴明が妻との離婚を発表したわずか4か月後に、2人は結婚会見を開きました。
この時、何と鈴木さんは妊娠3か月ということもあり、W不倫だったのではないかと大きく報じられました。
実際にW不倫だったかどうかは、当事者のみにしか分かりませんが、世間を騒がせた当時は、2人の印象が悪くなったのは事実です。
ちなみに、石橋さんと鈴木さんの離婚と再婚は、連日様々なメディアで大々的に取り上げられたため、元嫁や娘さんまでがマスコミに追いかけられていました。
このままでは、自分たちの生活が破たんしてしまうと危機を感じた元嫁は、娘さんの夏休みを利用してハワイに旅行へ行き、そのまましばらくの間、ハワイで暮らしていたそうです。
そのため、娘さんは英語が堪能になったようです。
元嫁の実家はどこ?
石橋さんの元嫁である、岩田雅代さんは、もともとモデルの仕事をしていました。
芸能界とモデル業界は何かと接点が多いため、知り合ったきっかけは仕事だと思われます。
とんねるずのアルバム「成増」に収録されている「chadawa」にコーラスとして参加しています。
成増が発売されたのは1985年ですので、この頃からお付き合いが始まったと考えられます。
この仕事以外にも、雅代さんは、とある農村のイメージガールをしていたこともあるそうです。
ほとんどの村民がナス栽培をやっている村で、品質の良いナスを作っても全く売れなかったため、町の青年団が、イメージガールを石橋さんの元嫁にお願いした所、あり得ないくらいバカ売れしたそうです。
その話を聞いた石橋はしばらく、元嫁の事を、ナス子と呼んでいたそうです。
さて、雅代さんの実家についてです。
調べてみると、愛知県一宮市にある岩田食品(株)の元会長(すでに亡くなられています)の娘なのでは?という情報がありました。
音大出身で、元ピアノ教師をしていたこともあるようですので、やはり、この情報が全くの出鱈目ではなさそうです。
これらの情報をまとめると、雅代さんの実家は愛知県一宮市にあるということになります。
なお、現在、一宮市に住んでいるかどうかまでは分かりませんでした。
石橋貴明の娘について
元嫁である雅代さん、現在の嫁である鈴木保奈美さんとの間に、4人の子供がいます。
全員女性です。
元嫁との間に生まれたのは石橋穂乃香
一番上の娘で、名前は穂乃香(ほのか)さん。
1989年7月31日生まれです。
穂乃香さんの初仕事は、7歳の時だったそうです。
学校から帰ったらリビングのテーブルに画用紙と絵具、サインペン、クレヨン、色鉛筆が置いてあり、『うたばん』と『とくばん』って書いてください、というメッセージがありました。
かつて石橋さんと中居正広さんのMCで人気を集めた『うたばん』のタイトルロゴは、穂乃香さんが書いたんですね。
ギャラはなんと、東京‐ホノルル間のファーストクラスの往復運賃2人分だったそうです。
金額にすると約100万円!?
当時、石橋さんは、芸能人長者番付のトップを争っていただけあって、スケールが大きいですね。
石橋さんの離婚と結婚報道から逃げるため、母親と一緒にハワイへ移住し、小学校6年生までは現地の学校に通っていました。
その後、中学入学を機に日本に戻ってきた穂乃香さんは、
テレビで活躍する父の姿を見て、芸能界への憧れを抱くようになります。
歌やダンスのレッスンにも励み、16歳の時に、芸能界で仕事をしたい旨を石橋さんに打ち明けました。
そのときの石橋さんの返答は、
縁切る。何バカなこと言ってんだ!
だったそうです。
芸能界の大先輩として、この業界で食べていくことの厳しさを伝えたかったのでしょうか。
しかし、穂乃香さんの意思は固く、その後も芸に磨きをかけ努力を続けた結果、ついに女神が微笑みます。
誰の力を借りることもなく、自力で映画のオーディションに合格したのです。
そして、念願の映画デビューを果たしました。
現在も、舞台や映画に出演しながら、女優としての下積み修行中です。
鈴木保奈美との間には娘が3人いる?
鈴木さんとの間に生まれたのは、以下の3人です。
第1子の名前は紙音(しおん)さん。
1999年5月2日生まれです。
第2子の名前は花音(かのん)さん。
2000年12月29日生まれです。
第3子の名前は桃音(ももね)さん。
2002年8月10日生まれです。
3人ともインターナショナルスクールに通っており、長女の紙音さんは、すでに卒業しています。
在学中から、アパレル業界でモデルの仕事をしていましたが、いずれは親のように芸能界で活躍したいという思いがあるようです。
しかし、石橋さんも鈴木さんも、紙音さんの芸能界入りには大反対だそうです。
両親に反対され、行き場を失いつつあった紙音さんを救ったのは、なんと、石橋さんの元嫁との間にできた、姉の穂乃香さんでした。
直接会って話したことはないようですが、インスタグラム内のメッセージで相談をしているそうです。
血はつながっていないとはいえ、頼れるのは姉なんですね。
ついつい感動してしまいました。
穂乃香さんは、
“親が有名人だとしても生半可な気持ちでは通用しないよ”
とアドバイスしているそうです。
ちなみに、次女の花音さんと三女の桃音さんは、現在学生で、紙音さんのように目立った活動はしていません。
しかし、紙音さんやお母さんの姿を見て育っていることから、今後は、三姉妹で活躍する様子を見ることができるかもしれません。