石田ゆりこ・石田ひかり姉妹が大旋風を巻き起こしたのは1990年代。姉妹が立て続けにトレンディドラマに出演し、誰もが憧れる美人姉妹として世間に認知されていました。
そんな石田姉妹の妹である石田ひかりさんについてご紹介します。
NHKの朝の連続テレビ小説『ひらり』やフジテレビの月9『あすなろ白書』で女優のポジションを不動のものにしたと言っても過言ではない石田ひかりさんの住まいやご家族について触れていきたいと思います。
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石田ひかりの現在の住まいはどこ?
石田ひかりさんは現在、神奈川県鎌倉市七里ヶ浜に住んでいます。旦那さんが転勤族であることから、鎌倉に住むまでは、兵庫県西宮市に住んでいたこともあります。
西宮に住んでいた頃は、夙川というエリアが生活圏で、愛犬を散歩させるうちに近所のマダムや実業家など、多くの友人(ママ友ならぬ犬友)がいたようで、鎌倉に引っ越した今でも交流があるようです。
住んでいた期間は数年だったようですが、石田ひかりさんが3歳になるまでは西宮に住んでいたことがあるということで、西宮という地域は石田ひかりさんにとって、思い入れや愛着の強い地域だそうです。
ちなみに、現在住んでいる鎌倉市は、旦那さんの仕事の都合によるものでもあり、子供の教育を考えてのことでもあるようです。
石田ひかりの夫について
女優石田ひかりを嫁に持つ夫とは、いったいどんな人物なのでしょうか?早速迫ってみたいと思います。
石田ひかりの夫の実家がすごい?
石田ひかりさんの旦那さんはNHK職員の訓覇圭(くるべ けい)さんで、結婚したのは2001年5月です。
訓覇という苗字が気になったので調べてみると、ものすごいことが分かりました。
三重県四日市市付近(旧:訓覇郷)から発祥し、平安時代から記録のある地名です。そして、三重県三重郡菰野町小島にある浄土真宗の金蔵寺の僧侶による地名を使用した明治新姓です。
もう少し調べていくと、この金蔵寺の僧侶というのが、石田ひかりさんの旦那さんである訓覇圭さんの先祖であることが分かりました。
つまり、訓覇圭さんの実家(正確には本籍地)は三重県三重郡菰野町の金蔵寺であるということです。驚きはまだまだ続きます。
なんと、訓覇圭さんの祖父である訓覇信雄さんは、真宗大谷派の宗務総長を、父である訓覇曄雄さんは、大谷大学の元学長で、大学を退官後は、大谷大学の名誉教授となっています。
宗務総長は、真宗大谷派の教師の中から、宗会が指名し、門首がこれを認証する。この指名は、他のすべての議案に先だって、これを行うとする。また、宗教法人たる真宗大谷派の代表役員となる。参務は、真宗大谷派の教師の中から、宗務総長が任命し、宗務総長は、参務を罷免することができる。
つまり、簡単に言うと、真宗大谷派トップである門首に次ぐ、ナンバー2ということになります。
ということで、実家がお寺というだけではなく、由緒正しいお寺と系譜のもとに生まれた、絵に描いたような”いいとこの子”です。
石田ひかりの夫のプロフィール
生年月日:1967年5月
出身地:京都府京都市
本籍地は、三重県三重郡菰野町ですが、父親である訓覇曄雄さんが大谷大学で教鞭をとっていたことから、訓覇圭さんは京都市内で生まれ育ちました。
出身高校:洛南高校Ⅲ類(現在は海パラダイム)
当時の洛南高校は、今と違って男子校でした。中でも訓覇圭さんが通っていたⅢ類は、泣く子も黙るスパルタ教育で有名でした。夏休みには比叡山で泊まり込み合宿を行うなど、東大・京大合格を目指したカリキュラムが組まれていました。
高校の同級生には、俳優の佐々木蔵之介さんがいます。
出身大学:京都大学文学部
大学在学中は、劇団そとばこまちに所属していました。この劇団は、辰巳拓郎さんが京都大学在学中に立ち上げた劇団ですので、学生の軽いノリでやっているのではなく、ガチの劇団です。
ですので、訓覇圭さんはひょっとすると、役者の道を志していたのかもしれません。
石田ひかりの夫の出世スピードが異常?
訓覇圭さんは京都大学を卒業した後、1991年にNHKに入局し、しばらくは京都放送局に勤務していました。
そして1995年にドラマ部に異動となり、数々のドラマを手掛けていきます。そして、2007年にNHKエンタープライズに出向した後は、ドラマ作りの現場の指揮官として現場を統括する役割を担ってきました。
訓覇圭さんが手掛けたドラマは以下の通りです。
NHK大河ドラマ
徳川慶喜(1998年、演出)
功名が辻(2006年、制作)連続テレビ小説
オードリー(2000年、演出)
まんてん(2002年 – 2003年、制作)
あまちゃん(2013年、制作統括)東野圭吾ミステリー 悪意(2001年、演出)
金曜時代劇『はんなり菊太郎2〜京・公事宿事件帳〜』(2004年、デスク)
土曜ドラマ
ハゲタカ(2007年、制作)※2008年エランドール賞プロデューサー賞(田中友幸基金賞)受賞
外事警察(2009年、制作統括)
TAROの塔(2011年、制作統括)
55歳からのハローライフ(2014年、制作統括)
トットてれび(2016年、プロデューサー)
おシャシャのシャン!(2008年、制作)
母恋ひの記(2008年、制作統括)
百合子さんの絵本 〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜(2016年、制作統括)
これまで数々の賞を受賞してきた名物プロデューサーですが、最も現場に顔を出すプロデューサーとも言われており、常に撮影の現場を大切にしているようです。
ちなみに、石田ひかりさんとの出会いは、1998年に訓覇圭さんが演出で携わった大河ドラマ『徳川慶喜』です。
石田ひかりの夫はサッカー選手でもある?
これまでにもお伝えしている通り、石田ひかりさんの旦那さんはNHKの職員ですが、一方で、石田ひかりさんの夫はサッカー選手なのではないか?という噂もあります。
訓覇圭さんは、NHK職員をしながらサッカー選手としても活躍しているのかな?と思い調べてみましたが、訓覇圭さんがサッカー選手であるという証拠はどこにも見当たりませんでした。
でもなぜ、石田ひかりさんの夫はサッカー選手というガセ情報が出回ったのでしょうか。
調べてみると、石田ひかりさんが訓覇圭さんと結婚する前に、結婚を前提でお付き合いをしていた相手がサッカー選手の青嶋文明さんだったということのようです。
当時は、このサッカー選手と結婚する気でいた石田ひかりさんですが、親に紹介したところ、石田ひかりさんのご両親、特に父親が結婚に大反対だったそうで、結婚はなくなったようです。
石田ひかりさんの父親の勤務先は日本郵船。公務員とまでは言わないまでも、とてもきっちりとした会社にお勤めということで、とても厳格な方のようです。
そんな父親からすると、大切に育ててきた娘をサッカー選手の嫁にはしたくなかったのでしょうか。
石田ひかりの子供について
2001年に結婚した後、2003年5月31日に長女を、2005年1月23日に次女を出産しています。
一般人であるため、名前や写真は出回っていないのですが、石田ひかりさんに似て愛嬌のある明るい性格のようです。
2人が生まれて間もない頃は、訓覇圭さんが大阪放送局勤務だったため、石田ひかりさん一家は兵庫県西宮市に住んでいました。
そしてこの頃に、夙川(西宮市内の高級住宅街)に住むマダムや実業家と家族ぐるみでの付き合いが始まりました。
2人のお子さんも夙川エリアに住む色んな人たちに可愛がられたようで、石田ひかりさんは今でもこの頃に知り合った人たちと交流があるようです。
家族だけではなく、地域の人たちにも温かく見守られながら育った2人のお子さんは、清泉小学校に入学しました。
カトリック女子修道会である「聖心侍女修道会(本部:スペイン・マドリッド)」を母体として設立された神奈川県鎌倉市雪ノ下にある私立共学小学校です。
卒業生には、第79代内閣総理大臣を務めた細川護煕さんや、フィギュアスケート選手としてオリンピックにも出場した村主章枝さんがいます。
清泉小学校のホームページによると、女子のほとんどが清泉女学院中学校へ進学するようで、石田ひかりさんのお子さんも清泉女学院中学校へ進学しました。
世間の中学生と同じように反抗期があったようで、石田ひかりさんに対して暴言を吐いたり、口を聞かなかったりと、大変な時期もあったようですが、今では落ち着いて勉学に励んでいるようです。
この先、姉妹で女優デビューということもあり得るのでしょうか。
石田ひかりの現在について
結婚して子供ができてからも、細々と芸能活動を続けてきてはいましたが、本格的な女優業とまではいかなかった石田ひかりさん。2人の娘さんがある程度大きくなったことから、14年ぶりに連続ドラマ『屋根裏の恋人』で主演を務めました。
その後も、『今からあなたを脅迫します』やローソンのCMに出演するなど、活動の頻度やペースが上がってきています。
石田ひかりさんは、姉の石田ゆり子さんが社長を務める個人事務所「風鈴舎」に所属していることから、これまでには実現したことのない姉妹共演も、今後はあり得るかもしれません。
アラフィフに突入し、女優としても一人の女性としても深みを増している石田ひかりさんの今後のご活躍に期待したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。