今回は、橋幸夫さんについてご紹介したいと思います。
往年のスターとして演歌界を盛り上げてきた、そして現在も第一線で活躍されている橋幸夫さん。
プライベートでは、長年連れ添った奥様と離婚されました。
奥様との離婚の件も含め、橋幸夫さんのプライベートに迫ってみたいと思います。
Contents
橋幸夫の元嫁について
橋さんの元奥様は、元日本航空の国際線客室乗務員の橋凡子(はし なみこ)さんです。
プロフィール
1947年熊本県生まれ。
小学校4年生の時、東京都浜田山に転居。
東京都立豊多摩高等学校卒業後、日本航空に入社。
スポンサードリンク国際線スチュワーデスとして勤務。
その空の上で橋幸夫氏とめぐり会い、1969年橋幸夫氏と結婚。
一男一女をもうける。
1982年から85年までフジテレビのワイドショーの司会を担当。
また、エッセイスト、作詞家としても活躍。
姑を看取った経験から老人問題に関心を寄せ、姑との生活模様や看護日記などを語る講演は、現代社会への問題提起として好評を得る。
ご自身のこれまでの色々な経験をもとに、多方面で活躍されているんですね。
橋幸夫との離婚の原因は?
橋さんとの結婚後は、橋さんの個人事務所の役員として活躍すると同時に、本も出版していたそうです。
レコード会社関係者は
でしゃばる感じではないのですが、個人事務所をよくマネジメントしていましたよ
と話しています。
まさに内助の功という言葉がぴったりですが、プライベートでは大変苦労されています。
90年に亡くなった橋さんの母親を、仕事で忙しい橋さんに代わって奥様が献身的に介護した話は有名です。
亡くなる6年ほど前から認知症が出て、自宅のあちこちで排泄をしたり、近所を徘徊したりしたそうです。
姑の世話のため、彼女は2時間ほどしか寝られなかったようです。
仕事では夫のサポートを、プライベートでは姑の世話をと、休む間もなく働き続けた奥様の心の拠り所が宗教だったそうです。
ある女性霊媒師に心酔しており、個人事務所の名前もその霊媒師に付けてもらったようです。
事務所には、いたるところに水晶玉や壺、怪しげな宗教画のようなものが置かれており、それらを見ることで、心の安定を保っていたのかもしれません。
橋さんはもともと、運命学や易学などが好きで、当初は奥様と同様に、その宗教に心酔していたそうです。
しかし、奥様の心酔っぷりに比べると、その足元にも及びませんでした。
いつしか、宗教に対する考え方の違いから、2人の間に溝ができていったのだと思われます。
当時、橋さんは周囲の人に対して、
早くひとりになりたい
と語っていたようです。
ちなみに、15億円で購入した都内一等地にある自宅兼スタジオのビルは、財産分与として奥様に渡したそうです。
橋幸夫はすでに再婚していた?
橋さんは、実母の介護をした経験をもとに、全国各地で講演活動も行っているのですが、そのときに知り合った女性とすでに再婚しているようです。
橋さんの知人にると
年齢は50代後半で、とても明るくて綺麗な方
だそうです。
橋幸夫の息子の橋龍吾について
息子さんのお名前は、橋龍吾(はし りゅうご)さんです。
プロフィール
本名:橋龍吾
生年月日:1977年9月20日
出身地:東京都
職業:元俳優(現在は芸能活動を停止中)
かつて芸能活動をされていた頃は、数々のドラマに出演していました。
踊る大捜査線 第3話(フジテレビ、1997年) – 深見哲也役
名探偵保健室のオバさん(テレビ朝日、1997年) – 高橋守役
いちばん大切なひと(TBS、1997年) – 杉田秀己役
甘辛しゃん(NHK、1997年-1998年) – 橘拓実役
恋のためらい(TBS、1997年) – 鈴木役
せつない〜TOKYO HEART BREAK〜 第16話(テレビ朝日、1998年)
狙われたセーラー服(テレビ朝日、1998年)
ドンウォリー! 第9話(フジテレビ、1998年)
ハッピー・マニア 第9話(フジテレビ、1998年) – 水沢達也役
ハルモニア この愛の涯て(日本テレビ、1998年) – 木崎役
美少女新世紀 GAZER(テレビ朝日、1998年)
SPECIAL-スペシャル-(日本テレビ、1998年)
学校の挑戦(ABC、1998年)
活動寫眞の女(NHK、1999年) – 三谷薫役
スポンサードリンクサラリーマン金太郎(TBS、1999年)
ア・オ・ゾ・ラ・マ・ー・ジ・ャ・ン(日本テレビ、1999年)
女医(日本テレビ、1999年) – 夏目茂役
救急ハート治療室 第6話(フジテレビ、1999年)
悪いオンナ(TBS、1999年) – 直人役
空のかけら(日本テレビ、2000年)
QUIZ(TBS、2000年)
花村大介(フジテレビ、2000年) – 小島俊介役
スタイル!(テレビ朝日、2000年) – 相川文也役
アドベンチャー探偵の事件簿(TBS、2000年) – 星野智
ブッチギリ女消防士!火消し屋小町(フジテレビ、2000年)
明日があるさ(日本テレビ、2001年) – 児玉役
天国への階段(日本テレビ、2002年) – 柏木圭一(18歳時)役
アドベンチャー探偵の事件簿2(TBS、2002年) – 星野智役
砦なき者(テレビ朝日、2004年)
主演ではないものの、これだけ多くのドラマに出演していただけに、なぜ芸能活動を休止したのか?
と思ってしまいます。
橋幸夫の息子の橋龍吾は現在は何をしているの?
芸能活動を休止している橋 龍吾さんですが、今は何をしているのでしょうか。
海外留学を機に活動拠点を海外に移し、芸能活動以外の仕事をしている
橋幸夫さんの事務所スタッフとして働いている
アマチュアのミュージシャンとして活動している
一般のサラリーマンとして勤務している
などなど、いろんなケースが想定できます。
中でも濃厚なのが、一般のサラリーマン説です。
ネットやメディアで、橋龍吾さんに関する情報がほとんどといって良いほど見つからないことから、一般のサラリーマンとしてお仕事をされているのではないでしょうか。
個人的にはもったいない気がしますが。。。
橋幸夫の娘について
橋幸夫さんには、橋龍吾さん以外に、1974年に生まれた娘さんがいます。
橋龍吾さんのお姉さんということになります。
お名前や結婚についての詳しい情報はないのですが、お仕事は弁護士であるということは判明しています。
橋幸夫は若い頃〇〇だった?!
幼いころから兄の影響を受けて空手や柔道、ボクシングをしていました。
そして、中学生になったとき、空手仲間の中にいた不良と一緒に行動するようになり、素行も悪くなっていったそうです。
それを見た橋さんのお母さんが、有無を言わさず、強制的に歌謡学校(今でいうところの音楽スクール)に入学させました。
3年間、嫌々ながらも通ったことが実を結び、さらには本人の才能も味方して、高校2年生の春にメジャーデビューしました。
ものすごい転身ですよね。
橋幸夫は在日韓国人なの?
橋幸夫さんはこれまで、
韓流スター、パク・シフに顔が似ている
韓国発の某キリスト教系宗教団体の教祖なのでは?
といった噂が原因で、韓国人なのではないかと言われるようになりました。
しかし、
1966年3月号の雑誌「明星」の中で、「先祖は、祖父の代まで滋賀県草津の神主だった」
と発言していたことや、
2005年8月15日に靖国神社へ参拝した際に、
「正しい歴史認識をする、よい機会」
と話していたことから、韓国人ではないと言えます。
橋幸夫はかつらなの?
橋さんの写真を見ると、髪の毛がヘルメットのように見えることもあるため、カツラをかぶっているのではないか?という噂が出回っています。
確かに、カツラをかぶっているように見えなくもないです。
どの写真も、横や後ろの生え際の髪のボリュームが多いため、不自然な感じがします。
さらに、前髪で生え際を隠しているとも思われますので、カツラをかぶっている可能性は非常に高いのではないでしょうか。