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真矢ミキには子供いるの?子供ができない?結婚した西島千博との関係は?

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今回は、女優の真矢ミキさんについてご紹介したいと思います。

TBSで放送されている朝の情報番組『ビビット』で司会を務めている真矢ミキさんについて、子供いるの?それとも、子供ができない?という話題で盛り上がっています。真矢みきさんの子供や結婚相手である西島千博さんとの関係について調べてみました。

真矢ミキに子供はいるの?

真矢ミキさんは、2008年12月22日に、バレエダンサーの西島千博さんと結婚しました。西島千博さんのバレエダンサーとしての血筋や腕前は折り紙付きです。

西島千博さんの実弟は現役ラテンダンサー西島鉱治さん。祖母は、日本でバレエがまだ広まっていなかった頃にバレエスクールを開講させた、日本バレエ界の先駆者的人物である。

踊るために生まれてきたと言っても過言ではない環境の下で、西島千博さんは3歳の頃からバレエを習い始めました。

1984年(13歳の頃)に全国舞踊コンクール入選を果たします。第4回青山バレエフェスティバルに出演して以降は、毎回青山バレエフェスティバルに出演していました。その後1990年(19歳の頃)にフランスへ渡って、より本格的にバレエにのめり込んでいきました。

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1991年(20歳の頃)に、フランス・カルポー賞国際バレエ・コンクール男性シニア部門で第1位に輝きます。フランスへ渡ってわずか1年後の快挙でしたので、19歳まで日本で培ったバレエ技術が相当高かったということが裏付けられた瞬間でした。

日本帰国後の1994年、スターダンサーズ・バレエ団に入団。2006年までプリンシパルとして活躍しました。自身の誕生日である2014年10月21日に芸名を「西島数博」に改名し、現在は、バレエスクール講師、俳優、振付師、ダンサーと、マルチに活動しています。

そんなバレエ界の至宝を旦那にもつ真矢ミキさんですが、西島千尋さんとの間に子供はいません。真矢ミキさんが結婚したのは44歳のときですので、妊娠・出産適齢期を超えていたのでしょうか。妊娠できる年齢の限界が何歳なのかを調べてみると、意外な事実が判明しました。

閉経の10年前から妊娠できなくなります。排卵がなくなった後も、卵の周囲の細胞が10年ほどホルモンをつくり続けるので、それで生理があるだけです。

肝心のまともな卵はなくなっているので、妊娠には至りません。だいたい51~52歳で閉経しますから、41~42歳が妊娠の限界のところです。もちろん、閉経も人によって10年ほどの幅があるので、妊娠可能の上限にも幅があります。それでも、35~45歳くらいの間に、健全な卵としての消費期限というか、限界が訪れます。

44歳という年齢でも妊娠出産を経験した女性はいますが、真矢みきさんの場合は、仕事を優先させたのでしょうか。

 

真矢ミキは子供ができない?

結婚しても子供がいない夫婦に対して噂されるのが、子供ができないのではないか?という噂です。真矢ミキさんに関してもこの噂が流れていました。真矢ミキさんは本当に子供ができないのでしょうか。

真矢ミキさんは以前行われたインタビューで、子供について以下のように語っていました。

神のみぞ知ること。少子化ですが、仕事も大切にしたい・・・

真矢ミキさんの頭の中で、仕事が占める割合は高いようで、結婚してからも仕事に対する価値観に変化はありませんでした。この価値観は、真矢ミキさんが育った家庭環境によって形成されたものだということがわかりました。

真矢ミキさんの父親は貧しい生活の中、自ら働いて大学の進学資金を稼ぎ、進駐軍譲りの英語力を買われ民航空運公司に入社、その後、KLMオランダ航空のディスパッチャーを経て設立直後の東亜航空、最終的には日本エアシステムの重役へ、と航空業界を渡り歩いた苦労人です。一方、母方の実家は現在の大成建設の下請けとして日本の鉄筋コンクリート造りの創成期から鉄筋コンクリート専門の工務店をしており、横浜競馬場などを建設しています。

仕事に対する価値観だけではなく、真矢ミキさんの真面目な性格も、両親から受け継いだものなのでしょう。そんな家庭環境で育ったわけですから、結婚したから仕事をセーブして妊活をという考えには至らなかった可能性が高いです。

しかし一方で、真矢ミキさんは子供を作らなかったのではなく、子供ができない体なのではないか、つまり不妊なのではないかとも言われています。自身のブログにおいてさえも、プライベートをあまり公表しない真矢ミキさんですので、得られる情報は少ないのですが、不妊治療のために病院に通っている姿や、妊活をしている様子が一切伝わってきませんので、真矢ミキさんが不妊だというのはガセである可能性が高いです。

また、この他にも、真矢ミキさんに子供がいない理由に、母親の介護が関係しているという情報もあります。

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自身が出演している情報番組内にて介護関連の話があったときに、多少自分の母親の介護について語られていたようで、その話からすると、母親は多少の記憶障害があり、日中はデイサービスなどを利用されているそうです。

ブログでは母親の同窓会に付き添い出席している話も見られました。

真矢ミキさんは、都内で80代の母親と同居している様子ですので、仕事と介護に時間を割かれているため、子供を作ろうという流れにはならなかったのかもしれません。

 

真矢ミキと結婚した西島千博の馴れ初めは?

真矢ミキさんが西島千博さんと出会ったのは、2002年の舞台共演でした。

作家・北方謙三氏(60)の原案・原作をもとにバレエで描かれた02年の舞台「スターダストin上海」にダブル主演したのが運命の出会い。その後、約6年の知人・友人関係を経て、交際に発展。

知り合ってから6年間は知人・友人関係だったというのが意外でしたが、お互いに何よりも仕事を大切にしたいという考えがあったため、交際に発展するまでに時間がかかったというよりも、じっくりと時間をかけたようです。大人ですね。

昨年末、西島から交際を申し込まれたものの「考えられない」と一度は断ったが「仕事を一番大切にしている志が同じだったり、何より穏やかでキレない方」と大きなものに包まれる雰囲気に惹かれて、恋人関係に発展したという。

今年3月には、飲食店でサイズが大きなブルガリの指輪を贈られプロポーズ。丁度、メニューを選んでいたこともあり「(プロポーズの言葉を)最初は聞き逃しました」と苦笑い。「指輪を見て、視覚までおかしくなったのかなと思ったし、何かドラマのワンシーンを撮影している感覚になりました」と“女優”目線に。
そんな予想外の行動に衝撃を受けつつ、最終的には「自由を持って自分と同じぐらい人生を応援できる人」だと感じ、結婚を決意。サイズ直しをしていない点から、サッとネックレスのように胸元からダイヤモンドが入った指輪を取り出すと「さらっと大人の恋愛をしていて、今が結婚の適齢期かなと。彼は8歳下ですが、決して“年下好き”ってことではありません」と必死に否定する場面も。

情報番組等で辛辣なコメントをしたり、ドラマでキャリアウーマン役を演じたりと、できる女性としてのイメージが強い反面、プロポーズの言葉を聞き逃したり、指輪を錯覚したり、「年下好き?」という質問に対して必死に否定したりと、お茶目な一面も持ち合わせている真矢ミキさん。このギャップが人気の秘訣の一つなんでしょうね。

真矢ミキさんと西島千博さんの夫婦仲は、結婚後も衰えることなく続いているようです。

2016年9月には舞台『ドラマティック古事記〜神々の愛の物語〜』で夫婦役を演じ、その他旦那・西島数博さんは芸術監督や演出、振付なども担当しました。

夫の西島から演出されることに真矢は「私は夫より8歳上で、家でも演出されております。結婚して9年間ぐらいなりますけど、共同作業で色んな物を作ってまいりました。彼と最初に出会ったのは芸術家としての西島数博。なので、演出を楽しみにしていますが、厳しい教えを請うことになると思います。家ではどうなるか分かりませんけどね」と笑みを浮かべていた。

同じ仕事をしているとお互いに喧嘩になるということもよくありますが、お互いのことを知り尽くしている真矢ミキさん・西島千博さんですので、その点はクリアできているようです。

2016年10月に、真矢ミキさんは自身のブログで、旦那である西島数博さんの誕生日(10月21日)に、一緒に食事に行ったことを明かしています。

今日は夫の誕生日

久しぶりに二人だけでお食事です

何をする訳でもないけど主催者が私なので、何だか気持ち緊張?

バースデーソングとか一人で歌うのどうなんだろう…とか(笑)。

何だかわからないけどがんばってきます(^_^*)。

職業柄、スタッフや共演者を交えた食事が多かったり、普段の私生活では自身の母親の介護の関係から、夫婦2人で食事することが少ないからこそ、普段はしないような緊張をしたようですが、結婚してから10年以上経つ夫婦とは思えないぐらい、夫婦仲が良いです。

派手なラブラブではなくペタペタぐらいですね!

適度な距離感(?)を自然に保つことができていること。これこそが夫婦仲が悪くならない最大の秘訣です。簡単なようで実はとても難しいことなのですが、これを自然にできている真矢ミキさん・西島千博さん。これからもこの夫婦仲を続けていき、いつかは芸能界きってのおしどり夫婦と呼ばれるまでになってほしいなと思います。

 

真矢ミキのあきらめない姿勢は宝塚時代に培われた?

大地真央さんに憧れ、中学卒業後に宝塚音楽学校に入学し、1981年に宝塚歌劇団に入団。同期には、黒木瞳さん・涼風真世さん等がいました。トップスターになる前から評判の男役で、在籍中にはつんく♂プロデュースの日本武道館ソロコンサート・篠山紀信撮影の写真集出版等、異例のイベントを開催し”ヅカの革命児”とも言わたそうです。

黒木瞳さんや涼風真世さんがいる中でトップスターになるには、相当な努力と忍耐力が必要だったに違いありません。ご自身では、宝塚時代の自分のことを劣等生だったと語っていますが、芸や舞台に対してひたむきに取り組んだことで、トップスターの座を獲得できたのは紛れもない事実ですし、そのときの経験が今の真矢ミキさんの活躍にもつながっていると考えられます。

1998年に退団し芸能界入りしましたが、38歳の時には一時所属事務所から戦力外通告を受けるなどどん底を味わっています。その後はオーディションを受け、2003年には「踊る大捜査線」にて役柄を勝ち取り見事復活

「理想の上司」系ランキングでは上位にたびたび入り、好感度が高い芸能人としても知られています。

戦力外通告を受けてもオーディションを受けて再び自分のポジションを獲得し直す精神力の強さにはとても感服しますし、学ぶべきものが多いです。

今後も更なる活躍が期待される真矢ミキさんの動向に注目し続けていきたいと思います。今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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