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風吹ジュンは若い頃にホステスをしていた?画像が可愛い過ぎる?

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今回は、女優の風吹ジュンさんについてご紹介したいと思います。

女優としての活動はもちろんですが、最近ではナレーションの仕事でも活躍している風吹ジュンさんの若い頃について調べてみました。美し過ぎる画像恋の話近況など、情報盛りだくさんでお届けしますので、最後までどうぞよろしくお願い致します。

風吹ジュンは若い頃にホステスをしていた?写真はある?

風吹ジュンさんは、18歳のときに京都から東京へ上京し、銀座の高級クラブでホステスをしていました。

今であれば、ホステスという職業が世間に認知されていますが、当時は水商売やホステスというのは、どこか後ろめたい、人には言い辛い職業でした。当時の風吹ジュンさんには、敢えてそういった水商売に足を踏み入れなければならない事情があったということになりますが、何があったのでしょうか。

風吹ジュンさんの両親は、どちらとも京大卒の高校教師でしたが、風吹ジュンさんが小学校5年生の時に離婚してしまいます。親権は母親が持つことになったのですが、中学校2年生の頃に母親が育児放棄をしてしまったことから、すでに京都に住んでいた兄のもとに移住します。高岡市立高陵中学校の同級生には挨拶ができないままの転校だったそうです。

京都に行くとセーラー服の入った箱だけが置いてあったそうです。

両親がいない状態であるため、風吹ジュンさんが中学校に通いながら家事を担当することになりました。当然経済的に苦しく、当時住んでいた家は、窓の裏にはすぐに崖があるような状態でした。

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通っていたのは京都市立花山中学校です。兄と同居し、内職やアルバイトをしながら学校に通うという生活を中学3年生の2学期まで続けたのですが、3学期にちょっとしたハプニングが起こります。

「河童」のアダ名を持つ井上先生から突然「保護者がいてへんやないか!明日から俺んち来い!」と言われたのです。

何とも心温まるエピソードで、井上先生、GJ!という感じですが、井上先生に促されるまま、風吹ジュンさんは井上先生の家で

仮住まいをしていました。

公立中学校の先生が見るに見かねて声をかけたぐらいですから、相当厳しい毎日を送っていたのだと思われます。

井上先生の家で仮住まいを続けながら高校受験の準備を進めてきた風吹ジュンさんは、京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科を受験し、見事一次試験に合格しました。

しかし、実技試験等が行われる二次試験当日に、母親が知らない男性と再婚したことを知らされ、ショツクのため二次試験受験を放棄してしまいます。

花山中学校を卒業した風吹ジュンさんは、お世話になった井上先生の家を出る際に、居候させてもらったお礼として、父からもらった七段の雛飾りを渡しました。井上先生宅での居候経験は、風吹ジュンさんにとってとても大切な思い出となっているようです。

中学校を卒業した後は、レストランで住み込みのアルバイトをしながら生計を立てていましたが、風吹ジュンさんの心の中で何らかの決意が固まったのでしょうか、東京に上京することを決意し、東京銀座の高級クラブでホステスとして働く道を選択しました。

 

風吹ジュンの若い頃の写真がかわいい?

風吹ジュンさんは1952年5月12日生まれですので、その年齢を考えると、美魔女っぷりが半端ないのですが、若い頃は周囲を寄せ付けないほどの可愛さだったそうです。

風吹ジュンさんの若い頃の画像を交えながら、風吹ジュンさんの美貌と魅力をお伝えしていきます。

これは風吹ジュンさんが22歳の頃に、ユニチカの初代マスコットガールを務めたときの画像なのですが、可愛さの中にも大人っぽさとセクシーさがあり、当時の男性の目を虜にしていました。

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こちらも同じく22歳の頃の画像です。キャンペーンガールや女優としてだけではなく、歌手としても活動していた風吹ジュンさんがレコードデビューしたのは1974年のことです。

こちらの画像は20代後半の頃に雑誌のグラビアを飾ったときのものですが、先ほどの2枚の画像に比べて大人っぽさが際立っていることが分かります。とても綺麗ですよね。

 

風吹ジュンが若い頃に別れた父親と再会?

先ほどもご紹介した通り、風吹ジュンさんは幼い頃に両親が離婚し、親権が母親にあったことから、中学校2年生までは母親と一緒に暮らしていました。当然、父親とは音信不通の状態が続いていたのですが、53年ぶりに父親と再会したようです。

富山の中学校では中学2年生までしか暮らしていなかったけど還暦のパーティーということで43年ぶりの同窓会に呼ばれて、そこで友達と交流が再開したんです。

その友達が父親との再会に力を貸してくれて、晴れて再会する運びとなったようです。

父親は会いたかったけど、会いに行き辛かったようですね。

父親との再会に力を貸してくれた友達がどんな方だったのかまでは明らかにされていませんが、本当に親切なお友達ですよね。

 

風吹ジュンは若い頃に事件に巻き込まれていた?

風吹ジュンさんが歌手デビューしたのは1974年5月のことですが、デビュー直後の1974年9月12日にとんでもない事件に巻き込まれてしまいます。

1974年9月12日、午後8時すぎ、フジテレビの録画撮りを終えた風吹さん(当時22歳)が帰る途中、こわもての男たちに腕をつかまれ、車で連れ去られたのです。

警視庁は暴力団がらみの拉致監禁事件と判断。パトカー20台、捜査員50人を動員する大騒ぎとなりました。

日付が変わった翌13日午前2時、風吹さんは都心のホテルにいるところを高輪署員に発見されましたが、この誘拐騒ぎは芸能界を震撼させるスキャンダルとなったのです。

芸能界だけではなく世間を震撼させた誘拐事件の原因は何だったのでしょうか。

当時、風吹さんは事務所移籍を巡ってトラブルの渦中にいました。

所属していたA事務所の待遇に不満を持っていた風吹さんは、東京・上野で鉄鋼業を営むというX氏と事務所の移籍交渉に関する委任状を交わします。

X氏は風吹さんに対し、新事務所Bを設立し、給料を倍にすることを約束しました。

最終的にはこのX氏の言動が正しいのですが、この当時の風吹ジュンさんは、事の成り行きや人間関係を正確には掴めていなかったようです。

しかし、ここで別のC事務所の社長らが風吹さんに対し、「X氏は暴力団関係者だ」と話したことから混乱が拡大。動揺した風吹さんはC事務所とも契約書を交わしてしまうのです。

こうして風吹さんは「移籍を認めようとしないA」、「移籍交渉を委任され、仮契約をしているB」、「契約書にハンを押してしまったC」と三重契約の状況になってしまいました。

大学で民法を勉強していても混乱しそうな事象ですので、当時の風吹ジュンさんも相当混乱したはずです。

その後、この事態を収拾すべく、風吹さんの録音権を持つテイチクが調停に乗り出したのです。
そして最終的にX氏がBを立ち上げて、風吹さんをプロモートすることに決まりかけたのだが、そこで先の誘拐騒ぎが起きました。

風吹さんを拉致したのは暴力団風に見えた男や元のA事務所の社員
移籍の意思を変えさせようと、テレビ収録を終えた風吹さんをホテルに連れていって、話し合いをしたというのが誘拐騒ぎの真相でした。

一連の事件を振り返って風吹ジュンさんは以下のように語っています。

フジテレビの前でAの社長に”ちょっと話があるから来い”と言われ、車に乗せられて…とにかく話は分かったから、もう疲れたし帰してくれと言ったら、朝方近くに帰してくれたの。叩かれなんかしなかったわ。

結果的には誘拐事件でも何でもなかったわけですが、この一件で風吹ジュンさんが負ったダメージは相当なものでした。

風吹さんが語ったように事件の背後で実際に暴力団は動いておらず、X氏も暴力団関係者ではなかったという報道もなされました。

しかし、移籍を巡る事務所間の醜い争いに巻き込まれたことで、清純派アイドルとしての風吹さんのイメージは、文字通り風が吹くように消し飛んでしまいました。

ですが、この失敗を羽バネにして再度芸能界に復帰し、今では押しも押されぬ大女優として還暦を過ぎた今でも輝き続けています。

今後も持ち前の粘り強さと美貌で、芸能界を引っ張って行っていただきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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