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梅宮辰夫の現在が激痩せで怖い?病状が酷くて余命が僅か?若い頃の画像あり。

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今回は、梅宮辰夫さんについてご紹介したいと思います。

梅宮辰夫が激痩せ?死去した?

昭和の大スターとして、映画やドラマで大活躍だった梅宮辰夫さんですが、最近では体調を崩し、テレビ等の表舞台に出ることが少なくなりました。ドラマ復帰の話題がありつつも、病状や体調に不安面が残る梅宮辰夫さんの現在に迫ってみました。

 

梅宮辰夫が激痩せした経緯

恵まれた体型で、ふくよかな顔立ちだった梅宮辰夫さんの様子が一変したのが、2016年11月のことでした。ステージⅠ~Ⅱの十二指腸癌を根治させるために臨んだ12時間の手術が原因で、体重は約10㎏落ちました。

タレントの梅宮アンナ(43)が7日、都内で会見を行い、父で俳優の梅宮辰夫(78)の「十二指腸乳頭がん」について、早期発見により手術は成功し「体重は10キロほど落ちてますが、かなり良好でして、先生たちも驚くほどの驚異的な回復だと言ってました」と明かした。

会見でがんのステージについては「1から2の間くらい」と明かしたアンナは「心配したのは、78歳なので高齢ということもあって、12時間の手術に耐えられる体力があるかなということ。手術中にもしかしたらという話もあったので…」と告白。

頬や顎の肉がごっそりと削げ落ち、顔色も全盛期と比べると悪かったことから、根治できていないのでは?他の病魔に侵されているのでは?とも言われていました。

顔だけではなく、お腹周りや下半身もかなり細くなったことが分かります。

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十二指腸乳頭部がんは、膵臓がんに分類され、比較的予後が良好であると考えられているガンの1つとなっています。

症状

十二指腸がんは早期の状態では、ほとんど症状が見られないと考えられています。

進行がんになることで初めて、腹痛や吐き気、嘔吐、体重減少、貧血などを発症します。

その後、さらに病態が進行することで、がんの浸潤が胆汁の出口を塞くことにより黄疸の症状が現れてくるとされています。

激痩せの原因は進行がんによるものだったんですね。

マイクを握る手も弱々しく、手術前のような力強さや覇気が全くと言っていいほど感じ取れず、本当に手術は成功したのか?根治できたのか?と心配になりました。

 

梅宮辰夫が死去した?

梅宮辰夫が死去?!」というとんでもない情報が出回っていましたので調べてみましたが、これは全くのです。

梅宮辰夫さんに十二指腸乳頭部がんが見つかったとき、ステージはⅠ~Ⅱでした。

初期の段階で発生しやすいとされる十二指腸乳頭部がん。この場合は自覚症状が出やすいとされており、腫瘍を取り除くことができれば予後も良好であると考えられています。

内視鏡で発見した際に、そのまま切除をすることが可能であるため、根治ができる場合もあるとされています。切除のみで治療できた場合の5年生存率は50~70%とされており、特に早期治療の場合の5年生存率は90%以上と、非常に高い水準となっています。

テレビ出演の回数が激減したこと、手術後も表情が冴えないこと、体重が戻っていないことなどが原因で、梅宮辰夫死去説が出たのだと思われますが、梅宮辰夫さんの年齢(2018年時点で80歳)を考えると、表情にしても体重にしても年相応なのではないでしょうか。

 

梅宮辰夫は昔余命宣告をされていた?

梅宮辰夫さんは今から50年ほど前の1974年に、睾丸腫瘍で「余命3ヶ月」との診断を受けたことがありました。

この時、ガン細胞が肺にまで転移する深刻な状態であったにもかかわらず、抗がん剤による化学療法によって治癒したと言われています。ちなみに、化学療法の副作用である脱毛症状が全く起こらなかったことでも、主治医を驚かせたというエピソードが残されています。

転移していたガン細胞がなくなった上に、副作用も出なかったなんて、奇跡を飛び越しています。やはり何かをもっているんでしょうね。

そしてさらに驚くことに、その2年後の1976年には肺がんを患い「余命3ヶ月」と診断されてます。

余命3カ月宣告を2回されたにもかかわらず、いずれも完治した人はそうそういないのではないでしょうか。

2017年1月7日に仕事復帰した後、梅宮辰夫さんは「特命係長只野仁」の会見で、マスコミの取材に対してこのように語っています。

 

「順調です。今のところね。若くないですからね、車でいったら30回くらい車検を通ってる。何が起きてもおかしくない」と説明。「この番組が続く間は生きていられると思いますので、なんとか頑張ってやっていきます」

自身の体のことをよく知っているからこそのコメントだと思われますが、実は梅宮辰夫さんは、十二指腸乳頭部がんの手術を受ける前に、生死の境を彷徨っていたことがわかりました。

 

梅宮辰夫の病状は想像以上に悪かった?

この画像に見覚えのある方も多いのではないでしょうか。これは、2016年3月に撮影されたもので、映画プロデューサーの安藤昇さんの「お別れの会」に参列したときの様子です。

補助歩行器を使用している様子を見て、えっ!?と思った記憶があるのですが、歩行器に頼らなければならないほど病状が悪かったことが後日判明しました。

この時は「肺炎」の病気にかかっていて医者からは即入院と言われていたのですが、お世話になった映画監督のお別れ会がありなにがなんでも出席したいという事で嫁の梅宮クラウディアさんに補助歩行器を用意してもらったようです!!

このお別れ会の発起人が梅宮辰夫さんであったため、どうしても欠席はできなかったのです。

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この姿を見たメディアは「えっ!?」と驚いた様子でどういうことなのか調査したところ娘の梅宮アンナさんがインタビューに答えたのですが「風邪が悪化した為で腰痛もあって」と回答した事によって大げさな報道にはならなかったのです。

梅宮アンナさんが手に持っているのは、梅宮辰夫さんの手書きのメモで、メモには自身の病状等が記されていました。ところが、この会見の裏で、梅宮辰夫さんの体には大変なことが起こっていました。

お別れ会には辛うじて出席することができましたが、とても病状が悪く、予定されていた記者会見をキャンセルしすぐに病院に向かいました。

2日遅れで入院した梅宮辰夫さんは非常に危険な状態まで陥っていたそうで意識不明になり医者からは「今夜が山場」と言われていました。

ちなみにこの時に、肺炎も含めて8個の合併症を患ってしまいましたが凄い生命力で病気から回復しました。

(心不全、腎不全、糖尿病、高脂血症、狭心症、心房細動、高血圧)

心臓と腎臓、それに血液と血管にまで不具合が見つかりながらも回復できるだけの生命力の源は何なのでしょうか。一命を取り留めるだけではなく、現場復帰までできているところが驚きです。

まさに不死身といっても言い過ぎではない梅宮辰夫さんに、いつまでも元気な姿を見せてもらいたいです。

 

梅宮辰夫が怪我から復帰?

数々の病魔に侵されながらもそれらを乗り越え復活してきた梅宮辰夫さんですが、2018年3月15日に開催した自身の生誕80年・芸能生活60年を祝う会の会場入り口で転倒し、顔面を強打。動脈を切ったため出血がひどく、額の右側を30針を縫う大怪我に見舞われました。

本来なら大事を取ってイベントを中止するところでしたが、待っていてくれるお客さまのためにと、応急処置をした後すぐにお祝いのイベントを強行しました。

先ほどの安藤昇さんのお別れの会のときもそうでしたが、誰かのためなら自分を犠牲にしてでもという気持ちが非常に強い人なんだなと思いました。自分に厳しく人には優しい人だということがひしひしと伝わってきました。

3月23日に抜糸し、ゴールデンウイーク前には完治したようです。

これに関して梅宮辰夫さんは、「回復力がとても強いんですよ」とドヤ顔。「大変だったこと? 特にないですね」と笑い飛ばしていました。

本当にすごいですし、とても頼もしいおじいちゃんですよね。

2018年5月31日オンエアの『ダウンタウンDX』では、けがを負った状況とイベント中の詳細をテレビ初告白。会場には約330人が集まり中止できなかったこと、4時間の治療の後会場に戻ったときの様子、イベント開始直後に麻酔が切れて痛みがひどくなり記憶があまりないことなどを生々しく語っていました。

回復力の凄さもさることながら、ピンチに見舞われたときの対応力は、見ている側からするととても参考になります。

 

梅宮辰夫の若い頃の画像がすごすぎる?

梅宮辰夫さんの身長は174㎝ですが、同年代の男性と比べるとかなり高い方です。顔立ちもはっきりとしていることから、昔は結構なイケメンだったのではないでしょうか。早速過去の画像を集めてみました。

 

梅宮辰夫は若い頃、医者志望だった?

梅宮辰夫さんの父親は、満州国の病院で医師として勤務していたため、満州国で生まれました。長男であるため、いずれは医者になることが暗黙の了解でした。

終戦後は茨城県に移住し、中学生以降は日本で学び、日本で育ちました。

梅宮辰夫さんが高校にはいる時期に、医師の父親が小児科・内科の医師として梅宮医院を開業します。

当然、長男である梅宮辰夫さんは跡継ぎとしてみんなに期待されており、本人も意思があったのですが、大学入試で医学部を受験するも不合格になってしまい、日本大学法学部に入学したのでした。

失意の中での大学生活かと思われましたが、大学在学中に銀座でスカウトをされ、東映ニューフェイスというオーディションに5期生として合格します。そして、翌年に公開された映画「少年探偵団」の主演を務めました。

左側の男性が大学生の梅宮辰夫さんですが、横顔を見るだけでもとてもイケメンです。

 

梅宮辰夫は若い頃からスターだった?

当時、梅宮辰夫さんが所属していた東映では主力の俳優が急死していしまい、主演級スターがいない状態でした。

そんな折に、当時のプロデューサーが「梅宮辰夫がいい!仰げばどんどん上がっていく!そういう人の方が人気があがるんだ!」

と発した事がきっかけとなり、次世代のスターとして梅宮辰夫さんが売り出されるようになりました。

アクション映画や任侠映画などで硬派な役柄を演じる一方で、女を泣かせるプレイボーイ役なども演じたことから、老若男女の支持を受け、看板俳優としてスターの階段をかけ上げっていきました。

イケメンであることに変わりはありませんが、そこにワイルドさも加わっていますね。

 

梅宮辰夫は若い頃の経験からこんなこともできる?

東映映画の看板俳優として活躍を続ける一方で、テレビドラマにも出演する機会が増えていきます。主演としてではなく、脇役としても味のある演技で定評を勝ち取った梅宮辰夫さんは、押しも押されぬ芸能界のドンとして、現在も芸能界に君臨しています。

まさに、選ばれた存在だと言えます。

病魔に侵されても、逆境に置かれてもそれらを跳ね返し続けてきた梅宮辰夫さんは、特別な星の下に生まれたといっても過言ではありません。

これからも世間に勇気と元気を与え続けていくであろう梅宮辰夫さんの活躍に期待したいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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